みのりはギャラリーをまわるのが好きです。みのりの好きな日本画は、美術館のようにガラスをはさんで見るのと直に見るのとでは大きく見え方が変わるのですが、美術館では、前に書いたプライスコレクションのような露出展示は例外で、絵を直に見ることができません。しかしプライスコレクションで直に絵を見る喜びを得たみのりは、どこへ行けば同じように見ることができるのかと考えすぐにギャラリーを思いつきました。当時は主に江戸時代の絵を好んで見ていましたので、いわゆる古美術商に行くことになりました。

みのりはまず京都のある古美術商の暖簾をくぐったのですが、思った以上にフランクに対応してもらえてとても感激しました。お店の人は「買う買わないにかかわらずいろいろ見て行ってください」と言ってくれて、こちらの好みを聞いてそれに沿った作品を次から次に出して見せてくれました。そのとき初めて「あぁ絵は買うことができるものなのだな」と思ったのですが、つけられた値段とともに作品を見るとなるほど結構納得のいく値段がつくものだと感心しました。もっともこの時点では実際に絵を買うという発想はなかったのですが。そしてそのお店で出していた「日本画の「値段」」という本を買って帰りました。

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この本は、明治時代以降の京都画壇とよばれる流れに位置する100人の画家を選んで、それぞれその作品と販売価格とともに概説するというもので、ほとんどの作品に値段が添えられているという点で画期的なものです。この本を読むことによって、まずそれまで江戸時代後期で止まっていたみのりの絵の好みが明治以降まで系統だって広がっていくきっかけになりました。またみのりがこの本から学んだもう一つ重要なことがあります。それは「絵は買うことで理解がさらに深まる」ということでした。絵を売る商売の方が書いているのですからそのまま受け取るのも単純ではありますが、しかしそれまで展覧会で絵を見る時に使っていたみのりの評価基準は「その絵が欲しくなるか」ということでしたから、この指摘はストンと腑に落ちるものでした。そこでなにかひとつ自分で買ってみようと思ったのでした。

絵を買おうと思って探すと、それは決して安い買い物ではないので自然と見る目が厳しくなります。一生のうちでもそう何回もできるものではないのでよほどのものに出会わない限りは踏み出せません。でも何度もギャラリーに足を運んでいたので出会う機会は多かったのでしょう。あるとき違うギャラリーでかかっていた絵にみのりは心を鷲掴みにされました。それがこの冨田渓仙の「朧月夜走鹿図」でした。

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みのりはもともと円山応挙に深く心酔していましたからそれまでは基本的に端正な印象を受ける作品が好きで、対象をとらえる際にデフォルメが過ぎる作品は好みませんでした。しかしそれは極めて表面的な見方だったことをこの時知ります。この作品はその表面だけみれば対象がデフォルメされて描かれていますが、しかし画材の滲みによって朧月夜に照らされた湿潤な空気に包まれた幻想的な風景を巧みに描き、その中では本当にこのように見えているかのような錯覚を覚えます。また細かく見ると木の幹には金泥を重ねていて、筆のスピード感が感じられつつもとても丁寧に描かれた作品だということもわかります。その描き方にはみのりが大好きな長沢芦雪を思わせるところもあります。

冨田渓仙といえば一般に南画に影響を受けた奔放な筆遣いとカラフルさ、とりわけ「渓仙ブルー」と呼ばれる過剰にまぶされる群青色が主な特徴とされています。

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それに比べてこの「朧月夜走鹿図」はそれらの特徴が抑制されているように感じられますが、それが決して弱点にはならずかえって引き算の美によって得られる豊饒な世界が表現されています。冨田渓仙という画家にとっては異色な作品かもしれませんが絵そのものは文句なく名作とよべるもので、これほどのものはこれからもそうは出会えないだろうと思いました。値段の方も作品のクオリティからすると幾分お得感もあり、自分にとっても手が出る範囲のものでしたので、思い切って購入することにしました。

購入してから折に触れてこの作品を鑑賞していますが、例えば画面下方の川の流れやぼんやりと月を覆う薄い雲、あるいは枝垂れた木や鹿の走る様から一定の時間の流れが感じられ、それによりいろいろな想像力が喚起されます。また見れば見るほど心が落ち着いてきて、いつまでも絵の前にたたずんでいることができます。南画・文人画は絵の中に入って遊ぶ感覚で鑑賞しますが、この作品も同じような楽しみ方ができ、きっとこれからずっとつきあっていけるものだと思います。本当に良い買い物をしたなと思いますし、これが絵を買うことによって得られる喜びなのだなと考えています。

今、とりわけ京都画壇の画家の作品はその実力に比して著しく価格が下落しています。東京画壇の画家に比べて知名度が低いことと、そもそも掛け軸や屏風といったものが現代生活の中で扱いづらいものであるため需要が急激に減っているのです。しかしそういった作品を外国の方がどんどん購入して自国へ持ち帰っているようです。それってなんだか数十年前の江戸絵画と同じ状況でもったいないことだなぁと思います。もっとたくさんの心ある方がそれらを集めるような状況がうまれることをみのりは願っています。