昨日、先日亡くなった千葉はなさんのお別れの会に行ってきました。千葉はなさんはポップミュージックデュオ「羊毛とおはな」のヴォーカルです。

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みのりが「羊毛とおはな」の音楽を初めて聞いたのは2010年の秋のことです。フクモリというカフェで行われたワールド・スタンダードのイベント「日曜日の団欒」を聞きに行ったとき、そのオープニング・アクトが「羊毛とおはな」だったのです。もともとギターとヴォーカルの組み合わせが好きだったみのりにとってはまさにジャストな音楽でしたし、なにしろ彼らの音楽が日曜日のお昼前にとってもぴったりなものばかりで、すっかりリラックスして気に入ったことを今でも覚えています。そしてそこで販売されていたCDやDVDを買って帰りました。

家に帰ってそれらを聞いてみましたがライヴほどの感動を得ることができませんでした。それははなさんのうたが巻き舌っぽく歌われて少しこもった声になっていたことに違和感を感じたからです。しかしライヴではもっと素直に声を出して歌っていたので、最初の感動を再度得るためにはライブに行かなくてはいけないと思い、それから機会のあるごとにライブに足を運びました。

幸い次のライブを見る機会がすぐにありました。しかもそれは渋谷のホールでのバンド編成のコンサートでした。チケットは既に売り切れていましたが、譲ってくれる方がみつかり見ることができました。デュオでも十分成立している音楽がバンド編成になることでさらに大きく世界が広がり、本当に素晴らしいものでした。またその後コトリンゴさんのバンドでも注目することになるドラムの神谷洵平さんを初めて意識したのもこのコンサートでのことでした。

しかしこの素晴らしい音楽をみのりの周りで知っている人は誰もいませんでした。それはあまりに残念なことだと思いましたので、そのうちなんとかみのりのできる範囲で彼らの音楽を広げて行くことはできないかなぁと考えるようになりました。

そんなあるとき彼らのホームページでカフェツアーをするので会場になってくれるところを募集しますという告知がでました。そこでみのりは近所でよく通っていた珈琲屋さんに話をつけてこれに応募しました。それからしばらくするとみのりあてにはなさん本人からメールが入りました。びっくりして急いで本文を読むと、残念ながら今回のツアーで会場として考えているカフェはもう少し規模の大きいものでそのツアーに珈琲屋さんを加えることはできないけれど、こうやって応募してくれたのも縁でそれをとても大事にしたいから別の機会を考えましょう、と書いてありました。確かに会場として考えていた珈琲屋さんは最大でも25人くらいしか入れないところでしたから仕方ないなと思いつつ、でもなんとか別でやろうと考えてくれるはなさんのあたたかい気持ちに感激しました。

それからライヴに行ったときにはお二人に挨拶するようになり、そのうち連絡しますねなんて言葉を交わしたりしましたが、こちらから積極的には働きかけることはしませんでした。しかし1年ぐらい経った頃またはなさんからメールが届きました。そこには、ライヴの話を具体的に進めたいから打ち合わせをしましょう!と書いてありました。このころには当然のこと彼らが実は相当の人気を持っていることは十分承知してましたから、まさかこんな規模の小さいライヴをやろうなんて言ってくれるのにはかなりびっくりしました。珈琲屋さんもまさか本当に実現できるとは思ってなかったので、この話をしたときは逆に及び腰になっていました。しかし運営はほとんどみのりにまかせてもらうことで了承してもらい、いよいよはなさんと羊毛さんとでまずは現地を見てもらうこともかねてその珈琲屋さんに来てもらってざっくばらんとお話をすることにしました。

いろいろとお話をした中でもっとも印象的だったのは、とにかくはなさんが一生懸命実現のためにアイデアを出してくださったことです。そして一見怖そうな羊毛さんも、自分たちの活動のルーツとなっている少人数でのライヴは原点を見つめ直す良い機会だから大事にしたいと話してくださって、とてもうれしかったです。

それからチラシやチケットの準備やお客さん集めなどのライヴの準備を珈琲屋さんと協力しながら順調に進めていったのですが、本番のちょうど一ヶ月前にはなさんが体調不良のため休養するとの連絡が入りました。詳しい話は全くありませんでしたのでみのりはあまり深刻に考えることもありませんでしたし、直前に活動再開がアナウンスされて無事に本番の日を迎えることとなりました。

そのときのライヴのことをみのりは未だに鮮明に覚えています。それまで見ていたものとは明らかにレベルの違うテンションの高さが感じられたのです。手を伸ばせば見えるところで演奏されていたというのもその理由かもしれませんが、正直あれほどのクオリティの高いはなさんのうたは聴いたことがないと思いました。

みのりはこのライヴに際してふたりに一つお願いをしていました。それは以前にアニメの主題歌にもなったけれどもステージではまったく演奏されていなかった曲「世界は踊るよ、君と」を演奏して欲しいというものでした。この曲は作詞も作曲もはなさんがした数少ない曲で、しかもとっても素晴らしいものなのに演奏されることがないのはあまりにもったいないと思ったからでした。満員のお客さんも最高潮に盛り上がって本編が終了した後、アンコールでこの曲は演奏されました。そしてはなさんはみのりにこれからもライヴの企画を続けてくださいと言ってくれました。本当にとてもうれしかったです。

その後も行くことのできるライヴはどれも行っていたのですが、行く度に特にはなさんのうたがまるで不純物がどんどん抜けていくかのように変化していったのにとても驚きました。そのスピードが普通の人の何倍にもあたるものと感じられたので空恐ろしくも思っていました。それは10周年記念コンサートを越えて翌年2014年2月に開催された品川教会グローリアチャペルでのコンサートでピークを迎えたように思います。このときのはなさんはまるで女神のような神々しさを携えていたと感じました。そしてそれがこの規模では最後のコンサートとなりました。

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2014年5月に再びはなさんが体調不良により休養することに伴い活動を休止することが発表されました。その後故郷の富山で療養生活に入ったこと、旦那さんも富山に移られたことが発表されるたびに嫌な予感がして、その度ご機嫌伺いのメールを送ったりもしましたがそれらに返事が返ってくることはありませんでした。なにもできないのに心配で仕方がありませんでしたが、はなさんと近い知り合いのミュージシャンの方に聞いてもまったく同じでした。

2015年4月10日の午後、不意にはなさんの訃報にふれた時は大きな衝撃で目の前が真っ白になり倒れそうになりました。涙がとめどもなく流れ平静さをとりもどすのがとても大変でした。だんだんわかってきた詳しい状況は、それまでなんとなく考えていたことを確認するものでした。やはりみのりがお手伝いしたライヴの前月に癌が見つかり治療していたのでした。再発が見つかるのは10周年記念ライヴの少し前だったとのことですが、おそらくあのライヴから1回1回のステージに対する向かい方がより切実に感じられていたのではないか、だからこそ短い間であれほどまでにうたのクオリティの向上がみられたのではないか、そう考えないと納得できないものでした。はなさんが亡くなった8日にそういえばみのりは、これから「世界は踊るよ、君と」を他のアーティストの人たちにも歌い継いでもらいたいと考えていたことを思い出しました。みのりにとっては偶然では片付けられない出来事です。

その後、はなさんが亡くなる少し前のファンへ向けた手紙が公表されました。そこには死を受け入れ前向きにとらえている姿が反映されていて感動的です。そして決して自分の死を悲しまないでほしいという強いメッセージがこめられています。私の身体はなくなっても、私は存在します、と。

昨日のお別れの会は、レコード会社と所属事務所の社長のお話までは胸がつまりそうな思いでしたが、その後はなさんも加わって考えたという場面の展開に移った段階で、当たり前だけどこれははなさんのための集まりで、みのりたちはそれに参加しているのだということに気づきました。普段の底抜けに明るいはなさんの姿を映像で実際に見たり、仲間のみなさんのおはなしを聞いたりしていると、はなさんが見えないだけで本当に存在する気持ちになって寂しい気持ちにはなりませんでした。羊毛さんもいつものような感じでいたのも大きかったと思います。決して容易ではない「羊毛とおはな」の曲を5曲もみんなで歌うというのもはなさんっぽくていいな、なんて思いながら歌っていました。それでもお友達として登場したコトリンゴさんが涙が止まらないのを見てしまうとやはりこみ上げるものもありましたが。でもきっとはなさんは喜んでくれたに違いないと思います。

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残された音源や映像を見直してみると、彼らの曲がいかに素晴らしいものに溢れていたかがよくわかります。演奏という面からみると一番最近のものが文句なしに良いとみのりは感じます。ですからDVDになった10周年記念コンサートは誰にでも見てほしいものです。しかしみのりはやはりそのピークであった最後の品川教会グローリアチャペルでのコンサートの映像をもう一度見てみたいです。そしてたくさんの人にも見てもらいと思っています。いつの日かそれが可能になる日を待ち望みながら、残された作品をいつまでも聴いていきたいと思います。