「舞妓はレディ」は題名からして名作映画「マイ・フェア・レディ」を思い起こさせるものでありますし、実際ミュージカルというスタイルや物語の設定などもそれを下敷きにしたことは明らかです。また、京都の舞妓を主な題材として扱っている点からすると、今をときめく宮藤官九郎脚本、阿部サダヲ主演の「舞妓Haaaan!!!」も容易に思い出され、それぞれの比較でこの作品を語ることもできるかもしれません。しかしみのりは「舞妓はレディ」を見て、やはり周防正行監督は小津安二郎の映画に対する深い敬意を表していると思いましたし、そこからさらなる優れた展開を感じましたので、そのことを書きたいと思います。

小津安二郎の映画についてよく指摘される特徴としては、ローポジションのカメラアングルでカメラが固定され、それを移動させて撮影することは稀であること、またオーバーラップやフェード・イン、アウトでなくカットによってショットをつなぐこと、シーンやシークエンスの間に風景などのショットをはさむことなどがあります。

小津の映画でカメラが固定されているのは、彼が構図の安定を重視してそれが崩れることを嫌っていたことが当時の撮影監督による証言などで明らかになっていますが、実際彼の映画においてはローポジションであることも相まってとてもスタイリッシュな安定感を感じることができます。そしてカメラが動かないでほぼ水平に対象を写しているということは、見る人に他の人為性・作為性を感じさせないので、映画を自分の自由な見方でみたいみのりにとってはうれしいものです。ただし全く移動撮影が行われないわけはなく、人物の移動に沿うかたちで構図が崩れないように注意深く移動撮影することは例外的に存在します。

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またカットつなぎで丁寧にシーンを構成していくこともまた撮影する側の中立的な立場を表し、見るものの能動的な鑑賞を促すとともに映画に流れる時間の等質な推移を作り出します。またシーンやシークエンスの間に風景などのショットをはさむのも、主に時間や空間の転換を映画のリズムを変えずにスムーズにつないでいくものです。これらの手法は、撮影する側の主観が大きくクローズアップされる最近の映画ではあまり使われるものではありませんが、映画ができてから堅実に積み上げられてきて到達した基本的かつ普遍的な映画語法であると言えます。

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みのりは周防正行監督の映画は「ファンシイダンス」以降見続けていますが、特に「ファンシイダンス」と次作「シコふんじゃった。」は、このような小津の映画の技法を忠実に踏まえて撮られています。未見ですが監督デビュー作であり日活ロマンポルノである前作「変態家族 兄貴の嫁さん」も同様の試みであったということですから、周防監督の小津映画に対する偏愛は相当のものであると思われます。

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そこで「舞妓はレディ」なのですが、映画冒頭に高い位置から京都の花街を見下ろすように捉えた後、カメラは水平方向に同じ対象を捉えられるところまで下方に持続的に移動して、もはや小津映画との関連とは無関係の映画であることを思わせます。しかし、そこから先は前にあげた小津映画の特徴、すなわちローアングル、カットつなぎ、風景ショットのオンパレードとなります。それは偉大なる監督小津安二郎に連なる代表的な映画作家周防正行の帰還を感じるほどの完成された形をみることができます。

でもこの映画はそれだけではありません。ミュージカルというそれとは違ったスタイルが導入されているのです。普通の場面から連続的にミュージカルシーンへと移行しますが、それはミュージカルの王道というもので決して奇をてらっているものでは全くありません。しかしそのダンスによって登場人物が移動するのに合わせてこれまでほとんど動かなかったカメラが移動するということに見る者は大きなダイナミクスを感じることになります。その生き生きとしたダンスがより効果的に作用するようにそれ以外のシーンを小津的である種禁欲的な技法を採用したかのようです。

物語面でいうと、もともと内向的でさらに失語症になるほど精神的に追い込まれた主人公が無事に舞妓としてデビューし、ラストにその喜びを爆発させるように着物で踊れる限界なまでの振りで踊りまくるシーンもその対照の振れ幅の大きさから大きなカタルシスを得ることができます。ここは本当に感動的な場面で、これを見るためにそれまでの2時間があったと言ってもいいと思わず極論したくなるほどです。

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しかしではそれまでの時間が禁欲的で息が詰まるようなものであるかといえば、まったくそんなことはありません。その撮影スタイルから見る側にある種の能動性を要求しますが、たとえばどの場面をとっても構図はこれ以外は考えられないといった安定感があり見ごたえがありますし、そのような静的なシーンの連続であってもそれが退屈に感じられないのは恐らく各俳優の演技の自然さ、風通しの良さによるのだと思います。脇を張る富司純子をはじめとしたベテランは当然としても主役の上白石萌音のほとんど素ではないかと思わせる演技が素晴らしい。物語の途中で長谷川博己扮する言語学者が「京都のことばは、やさしい風のように吹いて来る。」と語りますが、それがそのまま彼女の演技に当てはまり、映画全体に広がっていることがこの映画の一番の魅力と言えるでしょう。

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巷にあふれている映画を見慣れている人からすればそのゆったりした時間が退屈に感じられるかもしれない本作、しかしそれこそ大事なことなんだとみのりは声高に主張したいと思います。