リチャード・ストルツマンというクラリネット奏者をみのりに教えてくれたのは、もう随分前に亡くなっしまったみのりと歳の離れたお友達の佐々木節夫さんでした。節夫さんはもともとレコード会社でディレクターをしていた方ですが、みのりが知り合った時には既に退社して音楽評論家として、当時はまだ珍しかったピリオド楽器演奏家を主に応援していました。フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビルスマ、ジョス・ファン・インマゼール、有田正広さんなどです。

51YSDSB8Y6L._SX331_BO1,204,203,200_佐々木節夫著「古楽の旗手たち」

しかし佐々木さんは幅広く音楽を楽しむ方でしたので、彼らだけでなくたとえばフリードリヒ・グルダなどクラッシックというジャンルから軽やかに逸脱するアーティストなども好んでいました。この姿勢はみのりと共通するものでしたので、もともと近所に住んでいて歳も近い節夫さんの娘さんとみのりは友達だったのですが、その後に約束していたわけではないのにコンサート会場で節夫さんと頻繁に会うようになり、いつの間にか節夫さんと親しくなったのでした。

節夫さんは親しい友達にはオススメの音源をテープにとってお手紙付きで送っていました。彼はそれを「音楽の押し売り」と言っていましたが、みのりもその「被害者」の一人でした。しかしその「被害」はとてもうれしいものでした。人生の大先輩が送ってくれるオススメの音楽は、まだ若かったみのりにとっては行き届かないところから紹介されてきたので、向いている方向性が似ていていつかはその音楽に届いただろうものでも、早い段階で知ることができたのはみのりにとって幸いでした。その中の一つにリチャード・ストルツマンの音楽があったのです。

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みのりはそれまでクラリネットの音があまり好きではありませんでした。しかしそれがどうしてかはわからなかったのですが、ストルツマンの音を聴いた時はあまりに素晴らしく感じてとても驚きました。ピアニッシモからフォルテッシモまでのダイナミクスが大きく、ノンビブラートとビブラートを的確に使い分け、そういった卓越した技術をもともと彼が持っているおおらかでスケールの大きくかつあたたかいイメージの表現に100パーセント使われていたことに感動しました。いただいた音源はいわゆるクロスオーバーと称されるボーダーレスな音楽で、クラシックからジャズから様々なスタイルでしたが、それに対するストルツマンの姿勢は一貫としていてとても親しみやすいものでした。とりわけ彼の学生時代からの友人であり、ピアニスト・作曲家でさらにファゴットまで演奏できるビル・ダグラスの曲が数多く収録されていたのですが、それらはとても美しいメロディとハーモニーで作られたものばかりで、それらをストルツマンは深い共感を示すように、でもあくまで自然に演奏していて、彼の演奏の中でも最上のものが現れているとみのりは感じました。

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それからしばらくして新宿に東京オペラシティが建ち、その中にあるタケミツメモリアルホールのこけら落とし公演のために、ストルツマンはビル・ダグラスとビル・エヴァンスとの共演で有名なベーシストのエディ・ゴメスの3人で来日しました。この時の公演はみのりのこれまでの数多いコンサート体験の中でもベスト3に入る素晴らしいもので、今もその時の幸せな実感をしっかりと覚えています。ビル・ダグラスの作品も数多く演奏し、またホールにちなんだ武満徹のフルートのための遺作「エア」をクラリネットで演奏したり、ダグラスのファゴットと二重奏でバッハの2声のインベンションを演奏したり。さらにこの時一番感動的だったのはセカンドステージの1曲目にこどもたちの合唱とともに演奏されたダグラスの名曲「ディープ・ピース」でした。雄弁に奏でられるストルツマンのクラリネットとこどもたちの生の声の相乗効果でその簡潔で美しい純粋な歌詞の世界が立ち現れていました。
この時もみのりは節夫さんと一緒に聴いていて、終演後お茶しながら長らくその余韻に浸っていたことを今もよく覚えています。

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節夫さんはその後若くして癌で亡くなってしまいました。もうその2年ぐらい前から「ボク、癌なんだ」ってあっけらかんと言われてどう反応していいかわからなかったのですが、本人はその後も足繁くコンサートに通っていて、みのりも相変わらずよくお会いして一緒に帰ってきたりしてたので、あまり重く考えなくなっていきました。長く海外に旅行したりして節夫さんとお会いすることがなくなっていた年末のある日の夜、なんの気はなしに節夫さんからいただいた膨大な手紙を整理しなおしていました。時々読み直したりして懐かしく感じたりもして、整理がついたところで眠りについたのですが、翌朝になって、しばらくご無沙汰していた共通の友人からの電話で起きました。最初久しぶりにその人が連絡してきてくれたことに喜んだのですが、次の瞬間その理由を察しました。その通りの話でした。昨夜亡くなったとのことでした。あまりに早くその日が来たことに呆然としました。

年が明けてすぐにストルツマンはサントリーホールの大ホールで仲道郁代さんと共演しました。この時、アンコールでストルツマンは節夫さんに対する追悼の言葉を話し、彼に捧げられるかたちで「アメイジング・グレイス」を演奏しましたが、これは涙なしに聴くことはできませんでした。少しブルージーなハーモニーも入った伴奏の上であくまで自由にうたうストルツマンのクラリネットの音色は天国の節夫さんにも間違いなく届いていたと思います。

それから随分長い間、ストルツマンの名を見ることはありませんでした。おそらく演奏会はあったのでしょうがみのりの耳にその情報は入ってきませんでした。しかし昨年久しぶりにその名が目に入りました。ブルーノート東京で告知されていたマリンバ奏者のグループの一員の中に彼の名が入っていたのです。そのときは都合がつかず見に行けなかったのですが、幸い今年もストルツマンの新しいパートナーであるそのマリンバ奏者ミカさんとのデュオでツアーを行うと知り、これは行かねば!とチケットを買って楽しみにしていました。ちなみにチケットの整理番号は1番でした。

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コンサート当日は台風の影響により何十年に一度という大雨に見舞われたまさにその日。正直帰宅できないかもしれないと思いましたが、でもこれを聴きにいかないと絶対に後悔すると強く感じていたので迷わず会場の代々木上原ムジカーザへと向かいました。
プログラムはデュオによるチック・コリア、ビル・ダグラス、モーリス・ラヴェルの他、マリンバソロでコリア、ジョン・ゾーン(!)とクラリネットソロでバッハ(「半音階幻想曲」)、武満徹(「エア」)、スティーブ・ライヒ(「ニューヨーク・カウンターポイント」)というヴァライエティに富んだもので、しかしそのバランスの良さが聞いていてよくわかりました。

オペラシティで聴いて以来の武満やライヒも相変わらずストルツマンの魅力がよく表れていました。決してわかりやすくはない武満の無伴奏曲が自然と身体の中にしみこんでくるようでした。またライヒの曲も多重録音された10パートの演奏の上でうたごころたっぷりに際立ったソロを吹いていて、これはストルツマンならではのアプローチであったと思います。みのりはライヒの曲も大好きで、様々な音源や映像またはライヴなどを見てきましたが、このような演奏は他に見たことがありません。ミニマルミュージックの中で一つのパートが際立っているということは特異なことかもしれませんが、ストルツマンの演奏はそんな考え方にしばられる必要はないよと優しく教えてくれているようでした。また、ムジカーザは音響的にはかなりデッドな場所なのですが、そこでもストルツマンの音は決して耳にうるさいものではなく、音楽の細部にまで意識が行き届いて、様々なニュアンスに溢れた雄弁なフレーズは聴いていてとても心地よかったです。

奥さんのミカさんのマリンバは今回初めて聞きましたが、みのりがマリンバで今一番好きな加藤訓子さんと同じくらい素晴らしい演奏家であることがよくわかりました。例えばジョン・ゾーンの曲は思っていたよりもずっと過激さが抑えられたルーツよりなもので興味深かったのですが、演奏はおそらく困難を極めるものと思うもののそれを感じさせずに曲の魅力を引き出していて見事でした。彼女も加藤さんと同じくライヒの演奏をするとのこと。ぜひ生でのパフォーマンスを見たいと思います。

そして二人での各々の演奏は彼らがなぜ一緒に演奏しているかを十分に納得させるものであったと思います。やはりビル・ダグラスの曲とストルツマンの親和性を改めてよく感じるものでしたが、この日のハイライトはラストのラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」であったと思います。原曲にはないマリンバの前奏が添えられ、メロディが始まってからも自由なリズムで伸び縮みし、クラリネットが即興的でメロディアスなオブリガートをつけたり、曲全体が原曲からダンスミュージック風に離れたりする様は、まるで節夫さんが好きだったグルダの「ゴロウィンの森の物語」を聴いているようなスリリングさもあり、二人の息もぴったりで本当に素晴らしかったです。きっとこれを聴いたら節夫さんも喜んだに違いありません。ここにはストルツマンや節夫さんが愛した自由な音楽の精神にあふれていました。

終演後、ストルツマンのところへ行って、初めて彼と話をすることができました。いやみのりは興奮しすぎていてただでさえ不自由な英語が一層話せなくて、ある程度日本語を理解できるストルツマンのおかげで言いたいことがかろうじて通じたという感じでしたが。自分が節夫さんの若い友人であること、ビル・ダグラスのメロディを奏でるストルツマンの演奏がなにより好きであること、オペラシティでのダグラスらとのコンサートは今でもよく覚えていること。すると彼はオペラシティのことを「あぁあの時はこどもたちがコーラスをつけてくれたっけ」と思い出し「そう!ディープ・ピースですよ」と答えたりとか、「ダグラスについては自分もそう思う。彼につたえておくよ」などと言ってくれたりしました。

今回のストルツマンを見て、まだまだ彼が元気でこれからもその演奏が聴けるだろうと確信できたのはとても嬉しかったです。幸い帰りの電車も止まっていなくて無事帰宅できましたし、聴きにいって本当によかったなと思いました。

節夫さんが亡くなってから15年以上経ちました。もし今まだご健在であったらもっとあの時よりも身のある話ができたろうになぁと思います。今回もストルツマンと3人で話も盛り上がったのではないかと少し感傷的にもなったりしますが、きっと今回のコンサートの会場に節夫さんもいたのではないか、などとみのりは思ったりもするのです。