ロシアのピアニスト、アレクセイ・リュビモフのことをみのりが知ったのはもう随分昔のことです。

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デンオンからロシア・ピアニズムシリーズと題したCDがどっと出て、その中心にあったアナトリー・ヴェデルニコフに夢中になったみのりは、しかしもうこの世を去ってしまった彼の幻影を実際の世界に探していたのでした。そんな時にヴェデルニコフの師匠であるゲンリッヒ・ネイガウスの最後の弟子が来日して「ヴェデルニコフの追憶に」と題したリサイタルを4日だったか5日だったか行うというのですから、みのりはこれは行かねば!と先立つものもないというのに喜び勇んで全日程のチケットを買って聴きにいったのでした。

この時のプログラムはかなり過激なもので、当時まだまだマイナーだったウストヴォルスカヤの曲だけで一夜としたり、やはりマンスリアンやシルヴェストロフなど、その後リュビモフ自身が伝導していくことになる作曲家の曲、またチャールズ・アイヴズやジョン・ケージの曲など、大きく括ると「現代音楽」となるものがメインで、わずかにドビュッシー、ストラヴィンスキー、スクリャービンあたりが耳馴染みの良いものとして含まれるのみでした。

みのりは当時現代音楽も一応聞いてはいたのですが、聞いたこともない固有名詞の羅列にどんな前衛音楽を聞かされるのだろうと戦々恐々としました。しかしそれは全くの杞憂となりました。その時弾かれたロシアの作曲家の曲のほとんどは、前衛音楽が失った調性を取り戻す試みにあるものでしたし、それを弾くリュビモフの演奏自体が曲のあるべき姿をしっかりと把握して音にしたものだったので、むしろ具象的な明快さがあったのです。

またジョン・ケージの曲はプリペアード・ピアノのための作品でしたが、リュビモフ自体がスコアを見ながらその場で「プリペア」していくところを見ることもでき、そして曲自体もとてもリズミカルなノリのいい音楽だったので、聞いていてとても気持ちが高揚していったことをよく覚えています。

記憶が確かならば、おそらくそのコンサートのアンコールで彼はモーツァルトを弾いたと思います。当時のみのりは古典派の音楽はあまり馴染みがなかったのですが、こういう演奏ならば聞いてみたい!と心から思うものでした。聞けば彼は現代音楽ばかりでなくピリオド楽器を使ったバロック以降の曲もレパートリーとしているという、ヴェデルニコフ以上に幅広い時代をカバーしている演奏家でした。みのりがその後幅広い時代の音楽を聴くようになったのは結局この二人のおかげで、とりわけ脂がのりきった現役ピアニストであるリュビモフから得たものは現在進行形で大きいものがあります。来日の度にコンサートに足を運びその都度自分の理想の演奏を再確認するということを繰り返す音楽家でした。

リュビモフの演奏で忘れられないのが、当時成城学園前にあったサロンでのコンサートです。

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70人しか入れない一見普通のお宅の中にある応接間のようなところであったそのコンサート、プログラムにショスタコーヴィチのソナタ2番とプロコフィエフのソナタ7番がありました。どちらもみのりの大好きな曲で、それらをこのようなプレミアムな空間で聴けるなんて!と感激していたのですが、結果は当初の予想を大きく外れるものでした。これまで全く体験したことのない経験をしたのです。演奏を聴いているうちに、あたかもスターリン政権下で人々への弾圧が強化されていた時代に自分もそのまま放り込まれたかのように感じ、それらの曲が表象する恐怖や混沌というイメージそのものをピアノという楽器を介在することなくリアルに体感してしまった思いになり、背筋がゾーッとしました。それまでの実体験以上に強い恐怖をその演奏から感じてしまったのです。リュビモフもソヴィエト時代に当局から睨まれて自由な演奏活動ができない時期があった演奏家ですから、彼のそのはっきりしたイメージがそれまで以上に距離を縮めて届いたのではないかと思ったりしましたが、これはかなりユニークなものであったと言えます。

リュビモフの演奏の魅力はたくさんありますが、一言で言うとその音楽が生き生きとしているということです。バロックから現代までの様々なスタイルのどの曲に対しても、自分の個性を押し付けるのでなくそれらを真摯に受け止め咀嚼し、それにふさわしい形を演奏で再現する。そしてそこでは終わらず、常にその瞬間に立ち現れる閃きをそれに織り込んでいく、その力が誰より優れているとみのりは思います。それは即興性といっていいものだと思いますが、ジャズのそれではなくバロックのそれでもなく、特にロマン派以降のクラシック音楽演奏ではほとんど失われているかのような要素が彼の演奏にあるのは、誰もが彼の演奏を聞けば納得することと思います。もちろんクラシック演奏家の中でもそのように演奏できる人はたくさんいます。しかしリュビモフほど幅広い時代にある曲をどれもハイクオリティかつそのように生き生きと演奏できる人をみのりはほかに知りません。ですから15年以上経つにもかかわらず、みのりの中のナンバー1ピアニストの座は彼から全く変わっていません。

しかし残念なのはその彼の魅力というものが録音といったものになかなか反映されないことです。一度でも生の演奏を聞いた人ならば、音源を聴いて自分のイメージでそれを膨らますことができますが、残念ながら録音だけを聴いて彼が誰よりも秀でていると判断できるものはあまりないとみのりは思っています。彼は根っからのライヴアーティストなのです。それが故にこの国で知る人ぞ知る存在になっているのだと思います。まぁそのおかげで未だに小さなコンサートホールやサロンなどで彼の演奏を聴く機会があるのでそれは嬉しいことでもあるのですが、でもホールに空席があったりするとなぜこれほどの人がと残念な気持ちになります。

2016年の来日コンサートはここまで語ってきた彼の魅力が十分に出たものだったとみのりは思っています。プログラムもC.P.E.バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、スクリャービン、ペルト、シルヴェストロフ、グルジェフと彼の広いレパートリーを反映していましたし、そのどれもがヴィヴィッドな感覚あふれるものでした。また集まった聴衆もみな彼のことをよく知った人ばかりもしくは彼のことは知らなくても音楽に造詣が深いと思われる人ばかりだったようで客席の集中力はすごかったですし、それがリュビモフにも伝わったことと思います。今回のコンサートを体験した人たちはきっとこれからもそれがずっと強い印象として残るに違いありません。

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まだまだ日本では知る人ぞ知る存在のピアニストではありますが、それでも一定数の固定ファンができ定期的な来日がこれから期待できそうな気運が高まっています。とにかくライヴは一回性のもの、リュビモフも70歳を超えており、これからどれだけその素晴らしい演奏が聴けるかわかりません。できるだけ頻繁に来てもらってまだまだたくさんのことを彼から学びたいとみのりは思っています。